自由主義は、国際関係論では理想主義、多元主義とも言われています。それらの定義にはお互い大きな差異がありますが、国際関係をどのように捉えるかという問題、また平和をどのように達成するかの方法についてはほぼ共通しており、この連載では自由主義としてまとめる事にします。それは、理想主義も多元主義も、ルーツは政治思想の自由主義にあるためでもあります。

二つの自由のテーゼで説明したように、世界にはニ種類の自由主義が存在しています。肯定的自由と否定的自由のことです。そのどちらもが国際関係論に応用されています。国際関係論の自由主義というのは、政治思想としての自由主義とは一見まったく異なるような印象を受けます。なぜならば、政治思想としての自由主義はあくまでも国内政治システムの一種類として考えられていますが、国際関係にこれがどのようにして応用されているかは非常に分かりにくいからです。

しかし、国際関係論の自由主義と政治思想の自由主義を結ぶ点と線が存在します。それは

普遍性

というキーワードです。ここでは、自由主義の基本的な背景を白人覇権と政治思想という二つのアプローチから、自由制度論、民主的平和論、相互依存論という三つの主要な方法論の説明と交えて解説していきます。

飽くなき普遍性への欲望

あらゆる理論は普遍的なものです。自然科学の理論と同じように、国際関係論で使われる理論も問題領域、つまり観察の対象となっているすべての事象を説明出来るという仮定があります。最も分りやすい例がセキュリティ・ジレンマ論で、一つの国が軍拡に走れば他の国も必ず追随するという法則です。

しかしながら、自由主義の主張する普遍性は、理論が持つ普遍性とは異なる意味を持ちます。現実主義者は「いまそこにあるもの、そして今後起こる事」を説明することに重点を置きますが、自由主義者はあくまでも行動的に「あるべき姿」を実現するために理論を使います。例えば、民主的平和論は「民主国家同士は戦争を起こさない」という理論ですが、これの普遍性が本当の意味で証明されるには、民主主義そのものを普遍化しなければなりません。つまり、自由主義が使う理論は普遍性を自ら達成して初めて使用可能となるもので、手段と目的という二つの側面を持っています

なぜ自由主義は普遍化にこだわるのかという問題ですが、それは自由主義そのものが欧米文化の延長線上にあるものだからにほかなりません。主権国家システムというヨーロッパの地域的な枠組みが全世界に適用されたように、欧米の政治経済の仕組みを世界的に広めていくという、ソフトパワー拡大の為のツールが国際関係論の自由主義と言ってもいいかもしれません。いささか語弊がありますが、自由主義にとっては自由制度論、民主的平和論、相互依存論のいずれもが実現「されなければならない」ものなのです。

自由主義の基礎理論

さて、現実主義は「国家は永遠に相互不信」だという前提を持っていましたが、それは性悪説に根ざしたものでした。それに反して、自由主義は「経験論的性善説」を前提としています。これはどういうことかといいますと、人間ははじめのうちは自分だけの利益を追求し、他人の取り分も奪い取ってしまえと考えるけれども、そうしていると万が一自分が負けた時は被害が甚大だということを学習する、ということです。そのような場合、自分の得る利益を減らしてでも他人と協力し、利益をシェアすることで自分側の大きなマイナスの発生を回避するようになります。すると、人は利己的に活動しつつも結果的に全体的な利益を追求していることになる。この考え方を国家に当てはめたのが自由主義の持つ世界イメージです。また、防御的現実主義もこの考え方を部分的に導入しています。

経済学を学んだ方はおそらくピンと来たと思います。なぜならば、これはアダム・スミスが語った事そのものだからです。自由主義は現実主義と同じく「国家は利己的な存在」と考えているものの、国際関係を経済活動のように「自分が利益を得れば他人も利益を得る」という、相対的利益が発生する場として捉えます。つまり、放っておけば国家同士は勝手に協力しはじめる、という主張です。

国際機構

国家間が協力した具体的な証拠のうち、もっとも強力なものは何かと自由主義者が聞かれれば「国際法の成立」を主張するでしょう。なぜならば、まえがきで触れた主権国家システムそのものが、国家間の合意によって成立した国際法だからです。この、国際法の誕生は「神の法」に対する「人定法」という、白人文明を象徴する概念とも重なる二つの意味を持ち、自由主義の源泉を深く掘り下げるにはとても重要なイベントです。

とにかく、国際法や国際機構、またはルールによって国家が自分達を規制することによって平和が達成されるという理論が自由制度論です。つまり、国家が何をするべきか、どのように行動するべきかを普遍的な制度をもってコントロールするうちに、いかなる国家も相対的利益に目覚め、平和的な行動を進んで取るようになる、というものです。これは肯定的自由の考え方をベースにしており、あらゆる国際法の存在理由でもあります。また、制度論を応用したレジーム論という、限定的な分野に於けるルールの設置を説明するものもありますが、ここでは深く説明しません。

国際法を広める事がどのように白人覇権とつながるのかという問題ですが、これはソフトパワーの拡大という観点、そして人類史の発展から見て重層的な意味を持ちます。一つは、法による統治が有効である事を経験させることで、「未開」の国家に法治という習慣を広め、国家の政治体制を少しでも西洋のそれに近付ける事。二つ目は、主権国家システムに根ざした制度にあらゆる国家を組み入れることによって、自分達の作り出した世界システムを存続させるということです。今はまったくのナンセンスに聞こえますが、これを読んでいる皆様は非常に幸運です。なぜならば、私が今語っている事は、後世の歴史家が我々の時代を指して語ることだからです。

政治体制

さて、ソフトパワーの拡大を語るに際し、民主的平和論を外す事はできません。民主的平和論というものは、要するに民主主義国家同士は絶対に戦争をしないため、全ての国が民主主義国家になれば世界は平和になるという無茶苦茶な考えです。民主主義国家では国民一人一人が政治を支えているため、国民は自分の生活が苦しくなる戦争を進んで支持しない、よって民主主義国家は戦争を避ける傾向があり、もし敵国も民主主義ならあちらの国民も同じ行動を取るため戦争は起こらないということです。

このように、自由主義は国家そのものの行動と同時に、ストイックな現実主義者なら徹底的に無視する、政府の種類といった国家内の行動単位も重要な変数として考慮します。例えば、戦争の原因を国家の理性的な選択に求めるよりも、国家政権の性質そのものに求めるのです。これは次に述べるマルクス主義が、戦争の原因を資本主義というイデオロギーに求めていることと同じような理屈です。「それぞれの学派にとって国家の行動が最終的に何によって決定されるのか」を知ることは、その学派の全体像を見るために必要です。

経済の相互依存

そして、自由主義はもう一つの変数を重視します。それは自由貿易であり、ここにアングロサクソン型の自由主義思想と国際関係論の自由主義との最大のリンクがあります。現実主義は貿易活動を、あくまでも国家がパワーを拡大する手段、または国家の持つパワーの反映として見ますが、自由主義者はそれを国家の行動を決定付けるものとして見るのです。そして貿易の中でも自由貿易を、戦争を押さえる手段として扱います。

国家間の貿易による依存が戦争を防止するという考えを相互依存論と呼びます。つまり、貿易量が多くなればなるほど、国家同士は(経済が停滞すれば自分も不利益を被るため)戦争を控えるという理論です。そして、ここが非常に重要な点ですが、この現象を最大化するためには貿易活動を最大化する必要があり、そのために自由貿易を世界中に広めていく必要があると自由主義者は主張します。

クリントン政権にジョセフ・ナイという学者がいましたが、彼は相互依存論を昔から唱えていた人物で、案の定、中国との自由貿易拡大を柱とした政策を立案していました。このように、政権補佐として任についている学者が、どの学派に所属しているかをあらかじめ見破っておくことは、外交方針の予測を立てる上で非常に重要です。もちろん、現在のブッシュ政権の外交シナリオを描いている「黒幕」とされるライス補佐官は、典型的な攻撃的現実主義者です。

さて、相互依存論を重視する自由主義は新自由主義とも呼び、政治思想のリバタリアニズムと同一のものです。否定的自由主義は、人は自然状態においてはあらゆる権力から自由であり、好き勝手に行動できたけれども、結局は経済活動の効率化のため自らの手で政府を作ると考えます。このプロセスを国際関係に当てはめたものが国際関係論の自由主義で、今の世界は自然状態にあるけれども、国家同士は経済的な利益を最大化するために(世界政府を作るとは言わないまでも)自分達の利己心を制約するという考え方です。

昔、たしかどこかの学者さんのサイトだったと思いますが、「リバタリアニズムは国際関係論の現実主義に相当する」などという戯言を拝見しました。なぜかというと、現実主義は自然状態の世界、つまり国々が自分勝手に行動出来る世界を想定して議論を進めているから、人間の否定的自由を最大限に尊重するべきだと主張するリバタリアニズムは現実主義的だそうです。アホか。違いますよ。万が一、ここをご覧の方にその主張を目にした方がいたらさっさとそれを忘れて下さい。その学者さんはおそらく、「私はリバータリアンだ」と主張しつつリバタリアニズムの事を理解していなかったか、国際関係論をまともに勉強してこなかったんだと思います。

しかしながら、これは理解できない事でもありません。例えば、私の政治思想スタンスを敢えて言えば「自由意志的共同体主義」ですが、実際のところ国際関係論においてはガッチガチの現実主義者だからです。どうしてこのような事が起きるのかというと、政治思想では手段として用いられていることが国際関係では目的とされるからです。なぜならば、国際政治に世界政府が存在しないからに他なりません。つまり、政府がすでに存在する環境では、自由主義は政治がどのようにして実践されるべきかを説明するものでありますが、国際政治はそもそも自然状態なので、自由主義は「これから実現していくもの」と化すからです。学者は、政治思想と国際関係論の間にある、手段と目的という政治思想の役割の変化を見逃すべきではありません。

ただ、この章で説明してきた通り、政治思想と国際関係論のスタンスに整合性を持たせる事は可能です。というよりも、一貫していなければ学者として失格だと言わざるを得ないでしょう。素人であれば、「肯定的自由を支持しつつ国際関係を語る時は現実主義者で通す」ということも可能でしょうが、学者は許されません。では、かくいう私はどうなのか、「自由意志的共同体主義」と現実主義はどう関係しているのかと言うと、、、これについては非常に長くなります。人は生存のために他人と同盟を作り、外界認識と自分のアイデンティティーを修正することで国家を作るのです。

現実主義者から見た自由主義

そして、もう一つ重要な問題があります。例えば、現実主義者は自由貿易や国際法を支持してはならないのかといった、方法論のことです。簡潔に言います。現実主義者にとって最も大事な変数は安全保障ですが、自由貿易も国際法を支持することも自分のパワーを拡大するため、そして自分の生存のための手段として考える限り現実主義の観察対象になり得ます。しかし、もしあなたが、それらの観察対象が国家の行動を決定的に左右する変数だと考えたらあなたは現実主義者ではないということです。

また、これに関連する話しとして、「アメリカ的なもの」を広める手段としての相互依存論や、白人文明の根幹に関わる自由制度論を、日本人がやみくもに支持していいのかという問題があります。これについては、現実主義を含めたあらゆる体系的な学問が西洋のものであるため、仕方が無いとしかいいようがありません。実際、日本は西洋の学問を取り入れる事によって近代化を進める事ができたのですし、自由主義の主張をうまく利用する事で日本の安全保障が達成される分野も多々あります。よって、「自由主義は西洋から生まれたものだから間違っている」という考え方は適当ではないでしょう。ただ、自由主義者であるからには、自由主義を信奉することは白人覇権の存続と、あちらさんのソフトパワーの拡大に協力していることと同義だということを絶対に肝に命じておくべきです。もっとも、現実主義は自由主義と比べると学問として遥かに完成されており、例え世界覇権が中国とかロシアになったとしても適用できるし、主権国家システムが崩壊しても概念を発展させれば使えるため、あるがままの世界を淡々と語れるという意味でより寛容だと言うことができると思います。

2020年現在の注記

自由主義を忌み嫌う中国が、国際協調を利用し「軒先を借りて母屋を取る」形で世界システムの書き換えを試みているのは、理論面で非常に一貫している、と言える。実のところ、かの国の力の源泉は政治指導部と高級官僚の基礎理論への理解であり、あらゆる理論的手法を以て生存を追求する、極めて現実主義な姿勢である。