良き現実主義者であればあるほど、決して「国際社会」とか、「グローバルな」とか、「国際的共同体」とかいう表現を使いません。私も上記の表現を使わないように務めています。それでは、現実主義者はどういう言葉で世界を表現するのか。それは、

システム

という魔法の言葉です。この言葉にこだわるかどうかが、その学者が本当に優れているかを測る指針であると同時に、現実主義という学派の世界認識そのものを表しています。

哲学的か科学的か

現実主義は世界を「システム」として考えます。このシステムはあたかも機械のようなもので、一旦動き始めたら誰もその仕組みを止める事ができない。国家がそれを望むか望まないかを無視し、永久機関のように全ての存在を巻き込んでいつまでも動き続けるのです。そして、今はたまたま「国家主権」という名の時計の中にすべての歯車が組み込まれている状態で、どこかの国が世界征服に成功し新たな時計を設計しない限り、このシステムは動き続ける。しかし、次の時計が設計されたとしてもそれは同一のシステムの別バージョンに過ぎない、力がすべてを左右する世界に過ぎないというものが現実主義であります。

現実主義は、国際関係論の中でも最も古い歴史を有する学派で、本来「性悪説」に基づいたものとして発展してきました。人間関係は相互不信に溢れ、よって自分の利益のみを求めた結果「万人の万人に対する闘争」が繰り返されるという考え方です。この考えを国際関係に当てはめたのが最も古典的な現実主義でした。要するに、国と国は永遠にお互いを信用する事がなく、自分の生存の為にのみ行動し、戦争は決してなくならないというものです。

このように、現実主義はもともと非常に哲学的な側面を持っており、人間性の説明において後述の自由主義が主張する「経験論的性善説」と根本から対立することが分かります。国家は利己的であると同時に理性的な存在であり、よって自分の生存を求める為なら他国と協力したり、対立したり、裏切ったり、利用したりとなんでもします。神が降臨して直接統治でもしない限り、この情況は人間が人間である限り永遠に改善されない、それが現実主義の思想的なバックグラウンドです。

ところが、近代になるにつれ、現実主義は世界を科学的に分析することが必要となり、徐々に変質していくことになります。今まで通り、国家は「なぜ」生存を求めるかを説明するだけでは済まされず、国家は「どのようにして」生存を追求するかを構造的に分析する動きが現れました。この動きから生まれたものを新現実主義(ネオ・リアリズム)と呼び、多極構造か、二極構造かといった国家間のバランスを最重要な変数として定義します。現在の現実主義者のほとんどはこれの影響を受けています。

これはどういう事かといいますと、世界は一つの「万人の万人に対する闘争」が繰り返される巨大なシステムであり、その歯車それぞれがどのようにして動いているかを解明しようじゃないか、ということです。

攻撃的か防御的か

前項にある、哲学的な現実主義から科学的な現実主義への移行に際し、新しい概念が生まれました。「安全保障」と呼ばれるものです。これは現実主義の変遷の中でも象徴的な出来事で、「生存のために具体的に『何を』すべきか」ということを表し、科学的な現実主義の存在意義そのものを物語っています。つまり、生存のために国家は力を拡大しようとしますが、本当に危機的情況に陥った場合は、安全保障のために力の拡大を押さえてでも他国と一定の協調をとり、極化構造を作るというものです。これを一般に「防御的現実主義(ディフェンシブ・リアリズム)」と呼び、新現実主義の多数がこの考えを主張しています。

現実主義には「権力均衡」という重要なキーワードがありますが、これは国家間の力のバランスが取れ、平和が一時的に達成されている状態です。防御的現実主義はこのバランスが何らかの原因で崩れない限り、この平和は半永久的に持続出来ると考えます。国家は理性的な存在である為、生存が保証されていれば自分の力の拡大は求めないという前提を設けているからです。これは、哲学的な現実主義が考慮する「人間性」と全く決別した、極めて科学的な視点だと言えるでしょう。

翻って、伝統的な現実主義を色濃く受け継いだ考え方を「攻撃的現実主義(オフェンシブ・リアリズム)」と呼びます。国家同士は永遠にお互いを信用しないため、例えバランスが達成されていても国家は力の増大を望むというのです。つまり、混乱の最中は、国家同士は一時の生存を達成するためバランスを取るかもしれないが、バランスが作られた後の国家は必ず安全保障を拡大しようとし、一旦それが始まれば他国もそれに追随するため全てのバランスが壊れる、という考え方です。つまり、攻撃的現実主義はシステム構造も重要な変数として扱いますが、国家のパワーの増減がシステムにどう影響するかのプロセスをより重視する考え方です。そして、最重要な変数は覇権国家の誕生と喪失にあります。

国際関係論の発展というのはとても分りやすいもので、実際の国際政治の成り行き如何で主流派が決定します。冷戦時代の安定したニ極構造の下では防御的現実主義が主流でした。しかし、そのバランスは簡単に崩れ去ったのでした。今(2003年)は勿論、攻撃的現実主義による政策提言が最も影響力を有しており、今後のアメリカ外交はこれを理解しない限り分析不可能でしょう。

ちなみに、私は攻撃的現実主義の亜流に該当すると思います。それは、世界は覇権の喪失に伴うパワーバランスの創造と、覇権の誕生に伴うバランスの破壊を永遠に繰り返すという考え方です。