(2003年2月3日の政治日記から抜粋)

注:以下の見方は中国の実態を知らぬ大学時代に記述されたもので、現在は異なる見解を持ちます。予測が失敗する一つの事例として、反省を込め掲載を続けることと致しました。詳細はこちら

国家は一人の人間のように振舞うものです。911テロ直後のアメリカがいい例で、普段は内部がバラバラな国でも、外敵の存在を確認すれば即座に結束し、単一の行動体と化します。また、第一次大戦後のドイツのように、国家の生存が危ぶまれ、国民が自分のアイデンティティーの喪失を直感した場合も同じ現象が現れます。例外はありません。

いささか乱暴な表現ですが、国家権力、つまり国民を統制する暴力機構の根本的、究極的目的はこの動きを確実にすることにあります。いざとなった時に政府の動きを最大化するため、国内に存在する反体制派を押さえつけることができるということです。統制の取れた健全な国家では、これがバランスを取りつつ恒常的に行われ、政府は国内の権力序列における地位を確保し、国家の生存に必要なリソースを集めます。こうすることで、国家は初めて国際システムで単一の行動体として活動する事ができます。

しかし、単一の行動体の生成は時として失敗する事があり、それが国家の死につながります。要するに分裂や、他国による全体的、部分的併合です。これこそ、「国家は一人の人間のように振舞う」ことに例外が存在しない理由です。失敗した国家は滅びるからです。滅びなくとも、生きながらえた国家の部分は、失敗から新しいアイデンティティーを獲得する事で変質し、より効率的な国内統制の仕組みを作る事で単一の行動体としての国家を復活させようとします。これが国家の再生です。人類史はこれの繰り返しによって成り立っています。例外はありません

現実主義者は内政を顧みないため、単一の行動体の生成が失敗する可能性を排除します。しかし私は、普段の分析では極力「国家は単一の行動体である」という大前提を置きますが、万が一その国が致命的に単一の行動体として機能しきれていない場合は、ためらい無く国家の分裂を考慮します。国家の死を予測出来れば、未来のパワーバランスもより正確に予測出来るからです。

さて、私は大学時代に中華人民共和国憲法を研究の為何回も読んだんですが、そこに頻出する言葉があります。「中華民族」という言葉です。しかし、中華民族という民族は歴史上存在した事がありません。漢民族とか、満州人とかいったものならありましたが、中華民族はありませんでした。それではなぜ、中華民族なる得体の知れないものが中国憲法で何回も出現するのかというと、これは中国共産党が中華民族を作り出したいからに他なりません。

世には帝国というものがあります。帝国の定義は、要するに多数の文化や民族が、強大な国家権力によって統合された国家のことです。帝国の特徴として、侵略を重ね他民族を併合する事で国家の拡大を求める、というものがありますが、これは帝国という存在意義の裏返しのようなものです。アメリカや中国、ロシアが帝国と呼ばれているのは、このような理由があるからです。(ちなみにアメリカは世界史上最も成功した帝国ですが、これはローマ帝国の運営形態と重なる部分があるという観点からとても重要なケースで、いつかじっくりと研究したいと考えております)

つまり、中共が中華民族を作ろうとしているのは、中国という帝国内部に存在する多数の民族をまとめあげ、中国を単一の行動体として維持する為だということです。「あなた方はウイグル人かもしれないが、同時に中華民族の一員である」といったように。それぞれの民族が存在している事は認めつつも、上位の概念である中華民族を創造することで、民族のアイデンティティーを強制的に修正するのが中国憲法の最も重要な目的であります。こうして中国そのものに対する愛国心が醸成され、各民族が中華帝国から離れる事がなくなるということです。

「そんなバカなことが許されてたまるか」と皆様は感じておられるかもしれません。私もそう思います。しかし、民族の人工的な創造など歴史的に見れば全くの虚構ですが、これはあらゆる大国が必ずたどる道です。なぜならば、大国だからこそ多数の民族を内包しているため、新しいナショナリズムを作る事によって国家を単一の行動体として生成し直す必要があるからです。ロシア人の前にロシア人は存在していなかったこと、アメリカ人の前にアメリカ人が存在していなかったこと、そして更には日本人の前に日本人が存在していなかったことと同じ事です。国家は生存のためならなんでもするのです。これに例外はありません

ところで、中華民族に関して真っ先に考慮しなければならない事は、これが極めて新しい概念であり、完全に根付いていないという点にあります。私は上で、単一国家の形成が時として失敗する事、そしてそれが国家の死につながる事に触れました。中国が単一の行動体の形成に本当に成功しているかどうかは、中国という比較的新しい政体を分析する上で非常に重要なのです。帝国は往々にして大国です。帝国でない大国はありませんし、逆もまたそうです。しかし、先ほど述べたように帝国はもともと多数の民族を力でまとめあげたものですから、たまに単一の行動体の生成に失敗し、派手に分裂する事があります

中国はこのまま行けば必ず分裂します。それは、歴史的に見てもこれは特殊な帝国だからです。中国の人口比は90%以上は漢民族であるにも関わらず、少数民族が中国の大部分を占める広大な土地を住処としています。これが何を意味するかというと、あまりにも漢民族の絶対数が多いため、中国のあらゆる民族政策が「中華民族の創造=漢民族による少数民族の吸収」として認識されるということです。広大すぎて中共の統制が完全に行き届かないにも関わらず、時間をかけず早急に中華民族を創造するという無茶な政策が成功するなど考えられません。最悪なことに、内陸の少数民族自治区と沿岸の漢民族居住地域の経済格差は広がる一方で、少数民族が漢民族を中国人として同一視すること、そして漢民族が少数民族を同一視する事がもはや不可能になりつつあります。中共はこの状態にただならぬ危機感を覚えており、家系や出身地域ごとの風習を研究分析した上で新しい少数民族を「発見」し、登記上漢民族として扱っていた人々を少数民族に振替えるという作業を行っていますが、こういった人工的な民族の操作には限界があります。今まで漢民族として名乗っていた人物が、ある日突然「私は実は満州人だったんだ」と言いつつ東北地方に移住した所で、それが受け入れられるわけがありません。

私が、現実主義者でありながらナショナリズム研究を非常に重視している理由はまさにここにあります。大国は大国だからこそ、民族をまとめあげるナショナリズムの作成に失敗し、不完全な行動体になりやすいものです。そして、万が一国内の統制に失敗した場合はパワーバランスに甚大な影響を及ぼすということです。いい例がソ連の崩壊で、現実主義者はそれを考慮しなかったため未来予測に失敗しました。それがパワーバランスに大きな影響を及ぼす事を理解しているにもかかわらずです。

そして更に言えば、もし現実主義者がその分裂は自国に非常に有利なものになると分かっていれば、どのように分裂を促せば最もベストなパワーバランスの形を作れるのかという提言が可能です。私が、日本はさっさと中国の沿岸地域に金を注ぎ込み、経済格差を救いようの無い程広げてしまえと繰り返し主張しているのはこれが理由です。大国である中国を多数の小国に分割してしまうことで、初めて小国日本の活路が開かれるのでございます。

もちろん、私はナショナリズムや国家の統制がどれくらい取れているかを、国家の外交を左右する決定的な変数として考えていません。しかし、単一の行動体として動いている間にも、ナショナリズム作成の失敗によるひずみは拡大し続け、気付いた時には分裂していたということでは遅いのです。現実主義者は冷戦終了時の失敗を繰り返すべきではないでしょう。

2020年現在の注記

現地での駐在経験から申し上げると、中国の民族形成は極めて順調です。中国共産党を第二次世界大戦の勝者と位置付ける天安門事件以降に導入された愛国心の物語が、その後の経済発展による民生向上に裏付けられ、最早、民族を理由とする分裂の蓋然性は著しく低下しました。

中国共産党=中華民族の代弁者と位置付けることで、中国共産党の経済的成功が続く限り、中国共産党との同一性を付与された中華民族は存続し続けるという、巧みな理論構成と社会誘導が背景にあります。ウイグル等少数民族の独立運動も見られますが、デジタル監視社会の到来により、勝ち目は無いでしょう。従って、中国が分裂するとしたら、それは中国共産党の政治的乃至は経済的失敗の結果、となります。実際、中国の過去王朝を振り返れば、天災や気候変動、並びに戦乱による経済的困窮が易姓革命の直接の引き金となっており、民族に重きを置いた過去の分析は、当時の台湾アイデンティティ研究に傾倒していた私のバイアスが反映されたと考えております。