(2002年6月7日の政治日記より抜粋)

二十世紀において、愛国心の掲揚というものは世界的な潮流でした。それが顕著に表れていたのがナチスドイツであり、日本であり、アメリカでもあります。中国で辛亥革命を成功させたのは国民党ですし、それは共産中国でも同様で、毛沢東の主な主張は「中国を侵食せんと欲する帝国主義者は糞食らえ」でした。戦後は、独立まもない第三諸国が国家を統一性を守るために、独裁政権のもとで国家=政権という認識を浸透させようと躍起になっていました。90年代から広まった(ビンラディンが実質的頂点である)反グローバリズムの根本も、国家独自の文化や政治システムを守ろうとする愛国心です。

しかしですね、本当のところ、20世紀のナショナリズムの極致が見られたのは、第二次大戦の枢軸国ではなく、ソビエト連邦だったんです。ここで、アレ?と思った方は鋭いですよ。なぜなら、ソビエトシステムというのは、あまり知られていませんが、言うなれば社会主義バージョンの国連に他ならないからです。ロシア革命当時唱えられていたソビエトというのは、社会主義の導入を決定した国家が加盟する国家の連合体で、一種の国際機関のような位置付けでした。本来、レーニン達が想い描いていたのは、共産主義を目指す国家が加盟し、革命を広めることによって世界地図を全てソビエトに変えてしまおうという、荒唐無稽で壮大な計画でした。そして、その究極的な目的は、全ての国家を単一の国際機関によって統治することによって達成される世界の統一、いわば国家の廃止であったわけです。

国家の廃止を訴えたロシア革命は、一見、愛国心とまったく関係が無いように見受けられますが、実のところ大きな相互関係がありました。当時、帝政ロシアは大きなジレンマに陥っていました。産業革命以後、ロシアはなんとかして西側世界に追い付こうとしましたが、どうも上手くいかない。先端技術を導入しようとしても、国土がでかすぎるため一向にインフラ整備が進まない。それに加え、技術というのは進歩するものですから、例えば造船技術の確立が完了しないうちに、鉄道のように金のかかるものが発明される。鉄道をようやく敷きはじめたと思ったら、今度は(電線すら敷いていないうちに)電話が発明される。もう、踏んだり蹴ったりです。ここまできたらはっきり言って気の毒です。御覧のように、資金のあるものが絶対的に有利な資本主義社会は、(何をするにも金がかかる)ロシアにとってクソのような世界システムでした。

そこで、資本主義ではロシアの負けが確定すると考えたレーニン達は、さらにFuckingな計画をぶちあげたわけです。それこそが、西側世界の作り上げた資本主義をぶち壊し、自国に極めて有利な新しい世界システムを作ってしまおう、いや、どうせならロシア主導で世界をソビエトの名の元に統一してしまおうという、ロシア革命です。つまるところ、ロシア革命の正体とは、別に共産主義の理想を実現しようという試みでもなんでもなく、極めて現実主義的な考えから生まれた、愛国心の発揚であり、自国の保護だったわけです。実際、共産革命の拡大が実現不可能と分かるや否や、ソビエト連邦は速やかに単一の国際組織ではなく、単一の国家として機能するようになりました。

上記の例から見て取れるように、愛国心と生存本能には、密接な関係があります。外敵から身を守ろうとする生存本能が、愛国心と関係がないはずはありません。例えば、イギリス人とフランス人は今でも犬猿の仲ですし、フランス人とドイツ人はことあるごとにいがみ合います。先進的であるはずの西洋諸国ですらこの有り様なのですから、はっきり言って、平和をこよなく愛する日本人は世界的に見ても異様です。これは人間の、動物としての性、つまり人間の力では覆せない自然法でございます。理性理性と現代の日本人はいいますが、理性ではどうにもならない人間の動物的本能は、いつまでも生き続けます。

逆をいえば、愛国心の欠けた人間は生存本能に問題があり、そして生存本能の欠けた欠陥種は絶滅するしかありません。平和平和と聞こえはいいですが、動物はほとんどの争いをいがみ合いで回避します。そうすることでお互いを牽制しつつ、生存本能を保ち、できるだけ争いを少なくすることによって生き続けるわけです。つまり、私が何を言いたいのかと申しますと、もし北朝鮮が生意気なことを言ってきたら「てめえら潰す」とか、中国が日本を狙って配備している無数の核弾頭を撤去しそうになければ「氏ね」ぐらい言うとか、そういう小手先のゲームすらできないようでは、この国はもうだめぽ、ということでございます。

別に、侵略されても抵抗しそうにないから「もうだめぽ」ではありませんよ。逆のことが多分に起こり得る為「もうだめぽ」なんです。つまり、争いごとが苦手で、生存本能の欠落した不完全な人間は、キレる可能性が極めて高いということです。ここ数年、毎月のようにヒッキーな奴らが突然、何かの拍子に人を刺して牢屋にぶち込まれていますが、私は彼等が未来の日本の姿を象徴しているように思えてなりません。これを説明する為には、東アジアの地政学と、日本の潜在能力をしっかりと理解して頂く必要があるので、またの機会に譲りましょう。