我々は、自由社会に生きている。
自由は我々の生活の基礎であり、我々は自由を享受している。

しかし、あなたは、この世界に2つの、全く違う自由の定義が存在するという事実を御存じであろうか?それら2つの自由は、根本的に対立する、妥協不可能な概念である。そして、同じ自由でありながら、人々を二分する力を有している。

一つは、否定的自由と呼ばれる。もう一つは、肯定的自由と呼ばれる。

否定的自由は、抑圧者からの自由である。これは、あなた自身があなたの支配者として、自分の意のままに行動し、選択し、発言する自由である。イギリス生まれのこの思想は、経済活動を政府の介入から解放し、イギリスに大いなる繁栄をもたらした。否定的自由は海を越えアメリカ大陸に渡り、王のいない、極端な形の否定的自由が最大限に尊重される共和国を作った。否定的自由が世界ではじめて政府構造から保証された、アメリカ合衆国のことである。

肯定的自由は、為政者によってのみ自由に導かれる、というものである。人は、自由になるために導かれなければならない。なぜならば、人は理性的な生物であるが、その理性自体が貧困、教育の欠如や欲望に負け、不完全な使い方を余儀無くされていれば、結局のところ、理性が自由を持っているとは言えないからである。よって、人は宗教、道徳、そして政府によって導かれ、我々の理性を覆う無知と言う名の障害を取り払わなければならないとするのが、肯定的自由である。導かれることによって、人ははじめて自由になり、自らの支配者となるのである。肯定的自由もまた、非常に極端な形で実現された。それは、政府による人間活動の介入を最大限奨励する福祉国家の誕生であり、ソ連をはじめとする社会主義国家も(建前はともかく)肯定的自由を根幹としている。

二十世紀は、2つの自由の対立の時代であった。
しかし、この対立は終わったわけではない。

小泉内閣の進めた構造改革は、政府の力を縮小するという、否定的自由に根ざすものであった。その抵抗勢力の主張は、大きな政府によって国民を導かなければならないとする、肯定的自由に根ざすものである。アメリカ共和党は、伝統的に否定的自由を信奉するが、アメリカ民主党はニューディール計画の時から、政府による介入を善とする、肯定的自由を党是としてきた。

このことから見られるように、自由の対立は未だに政治の基本である。よって、「自由とはどういったものなのか」を理解しない限り、政治の世界を読み解き、分析し、その未来を予測するのは不可能である。

さらに大きく見ると、アングロサクソンにとっての自由は否定的自由、ヨーロッパ大陸における自由は肯定的自由という図式があらわになる。アメリカの保守は政府に保護された個人の自由を擁護し、ヨーロッパ大陸では政府が人々の生活を制限し導くことこそ保守とされる。更に言えば、アメリカの左翼はほぼヨーロッパの保守にあたり、ヨーロッパの左翼は社会主義や共産主義にあたる。こういった政治思想の違いは、もちろん国家運営の手法を影響するため、どの国でどの党が与党になり、誰が党首になり、誰が政府の長になったのかを見れば、その国の内政と外交の未来を、ある程度予測できる。この視点がなければ、なぜナチスという極右政党が目指したものは国家社会主義だったのか、なぜアメリカの銃規制がクリントン民主党政権の時代に進み、ブッシュ共和党政権の下ではほぼ無視されているのかを、絶対に読み取ることはできない。

もちろん、二つの自由はそれぞれ、内部に解釈の違いから生まれる派閥を抱えている。例えばアメリカでは、共和党内部でも否定的自由の解釈の違いから、リバータリアン、ベンサマイト(ベンサム派功利主義)、ロッキアン(自然権派)、バーキアン(自然法派)といった派閥があり、民主党内部でもグローバリスト、ケインズ派、人権派、アニマル・ライツ派等の派閥がある。それはもちろんヨーロッパ大陸でも同じことであるが、アメリカの共和党にあたる政党は、ほぼ存在しないし、存在しても支持されることはない。

ただ一つ、確実に言えることは、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の間には、妥協不可能な政治思想のズレが存在しているということだ。EUに代表されるヨーロッパ統合の動きが示すように、21世紀においても、二つの自由は対立を続けるであろう。また、世界唯一の覇権国家であるアメリカ合衆国内部における二つの自由の対立は、(20世紀中ずっとそうであったように)これからも国際政治を混乱させるだろう。

それら欧米の自由の対立こそ、国際政治の原動力である。しかし、日本人がそれを正確に理解しているかと言うと、そうではないと考えざるを得ない。日本では党ごとの政治思想の違いが明確に線引きされておらず、さらに、自民党という巨大な「保守」政党の内部は、「ヨーロッパ大陸型保守」と「アメリカ型保守」が混在しているという、奇妙な構造的欠陥を抱えている。このような政治形態は、一貫性のある国家運営を不可能にし、国民を混乱させるだけで、百害あって一利なしである。自民党の分裂なくして、日本の再興はありえない。日本人は自らを、欧米の人間たちが作り上げた対立の枠組みに合わせて変えると同時に、欧米の自由の対立を理解することによって、彼らの対立の犠牲になることを極力避けなければならない。ようするに、(大陸間及びアメリカ内部での)否定的自由と肯定的自由の対立の結果、日本にどのような影響が出るのかを、理論的に予測し、それを予防する習慣を付けなければならない。

この連載で私が目指すものは、否定的自由と肯定的自由がいったいどういうものかを、読者に明らかにすることである。もちろん、否定的自由と言ってもいろいろなバリエーションがあり、肯定的自由も同じである。しかし、それらすべての分派を紹介する時間的余裕は私にはないので、二つの自由の違いを的確に説明している、アイザイア・バーリン卿のエッセイを紹介しようと思う。そこで二つの自由を論じた後、最近の政治思想の流行となりつつあるリバータリアニズムと共同体主義を論じる。それはつまり、人間は周囲の共同体との結びつきが必要であり、それを維持する為には否定的自由が必要不可欠であるというスタンスである。

参考文献

Berlin, Isaiah. “Two Concepts of Liberty” Four Essays on Liberty. New York: Oxford. 1979.

MacIntyre, Alasdair. After Virtue: a study in moral theory. Notre Dame: Notre Dame. 1981.

Nozick, Robert. Anarchy, State and Utopia. New York: Basic Books. 1974.