さて、前章は自由主義という、内容はともかく非常に込み入った学派の説明のために多くのスペースを割いてしまいました。よって、読者サービスとしてマルクス主義の説明を最小限に留めたいと思います。だって落ちぶれてるし(お 大した事言ってないし(えー

「従属理論」と「南北問題」

日本の中学や高校を出た方ならば、間違いなく社会科の教科書で「南北問題」という用語を習ったことがあると思います。これは国際関係論の用語で、正確に言うと国際関係論のマルキシスト(マルクス主義者)が作り出した用語です。要するに、南の貧困と北の富をなんとかしようということでして、南北問題を掘り下げていけば、マルクス主義の持つ世界イメージが自然と分かってきます。

南北問題というものはマルクス主義の使う従属理論を応用したものです。従属理論とは、大国が小国と経済活動を行う時、大国は小国から資源を買って加工製品を作り、小国に売り飛ばす事によって莫大な利益を得るが、資源しか売る事のできない小国は雀の涙ほどの収入しか得られない、よって大国による国際的な経済活動は小国を奴隷にするものでしかない、というものです。つまり、この現象が北半球と南半球の間に起こっていたから、マルクス主義は国際政治の中に南北問題を発見したわけです。

従属理論に限らず、マルクス主義は現実主義的な世界観を持っており、大国と小国の間に存在するハイラルキーを非常に重視します。しかし彼らは現実主義と違い、国家のパワーを決定的な変数として扱いません。観察する対象は現実主義と似ていますが、理論の目的が明後日の方向に飛んでしまっているわけです。マルクス主義にとって、国家の外交を決定する最重要な変数は、その国が資本主義国家か、それとも社会主義国かといったイデオロギーにあります。

みんなの嫌われ者

マルクス主義は、戦争の原因は資本主義システムにあると言います。それはなぜかを詳しく説明すると長くなるので短く言いますと、資本主義は利益の拡大を国家に求めさせ、国家間の競争を促すと考えるからです。それでは、マルクス主義の唱える平和への道とはなにかといいますと、全世界に共産革命を広め、地球を赤く染めることにほかなりません。

みなさん、笑ってはいけません。彼らは3倍ほど本気だったんです。つまり、国家的な富の配分が完璧に行われていれば競争は無くなると、本当に信じていたんです。また、世界に存在する国家がすべて社会主義国となり、世界ソビエトに組み入れられれば、世界中に存在する資源と富の分配がこれまた世界的に行われ、地域ごとの資源戦争も起こらず恒久的な世界平和が約束されるとも信じていたようです(遠い目

また、彼らは国家を中心とした分析を批判し、国家の安全保障よりも人間の安全保障(世界中の人々の飢えや権力機関による暴力からの解放)を充実させることが必要だと訴え、国境を廃止することが最終目的である世界ソビエトという考えを反映させると共に、マルクス主義の賛同者をより広い方面から集めていくことに注力していました。

南北問題を、国家政策に組み入れてまでもっとも熱烈に喧伝していたのはほかならぬ中共で、その証拠に昔の新聞を読んでみると、中共寄りと言われている日本の某新聞が南北問題を一番熱く語っていました。実際の所は、南北問題という用語の誕生は中国とソ連の対立、及びベトナム戦争でのソ連側の勝利という当時の世界情勢を反映していたのですが、これについてはややサイドストーリー的なものになるので時間がある時にでも政治日記で語りましょう。

さて、マルクス主義は国際関係論壇で現実主義と自由主義の両方に殴り込みをかけましたが、両者から袋だたきにされた挙げ句、お察しのようにソ連の崩壊と共にかなり勢力を弱めました。よって、ほとんどのマルクス主義者は転向を余儀なくされたのですが、行き先は主に二つに絞られます。これを知っておいても損はありません。

より愛される存在へ

一つは、覇権の循環を強調する世界システム論で、ウォーラースタインがこれにあたります。覇権の循環という考え方はもともと現実主義にもありましたが、彼ら転向組はパワーの増減ではなく資本主義システムの動向、つまり景気の流れから覇権の循環を説明しようとします。もともと現実主義的な考えを持つ、マルクス主義の理論家らしい転向の形だと思います。(私は、アメリカの本家ネオコンは実のところこれにかなり影響を受けているのではないかと思っていたりします)

もう一つ、マルクス主義の「活動家」らしい転向の形としてグローバリズムというものがあります。世界システム論がグローバリズムの理論の一つとして組み入れられることもありますが、私はそれらの最終的な問題領域が全く異なるという理由から分けて考えています。グローバリズムはどういうことかというと、人間の安全保障という考え方を発展させた考えで、世界の平和は市民団体や人権活動家、NGO、NPO、多国籍企業、金融活動といった国家の枠組みを超えたものが活発に動くことで保たれるということです。つまり、国家そのものが国境に縛られない存在に根底から支えられるようになると、国家も国益だけを考える習性を改めざるを得ず、世界全体の利益を重視してゆくだろうという考え方です。

一言付け加えますと、私は決してNGOやNPOの存在を否定しません。なぜならば、それらは効率的な国家運営を目指すために使える道具だからです。しかしながら、わたしはそれらを国家活動を左右する決定的な変数とは考えません。後々じっくりと説明しますが、国際関係を語るということは、このように変数の取捨選択を行って初めて可能になります。