(2002年3月20日の政治日記より抜粋)
「国際関係論とは何か」という問いは、簡単に言えば国際関係論とは何の為に存在し、国際政治学者は何故理論を使わなければならないのか、ということです。その答は、「平和を達成する為」です。これしかありません。現実主義の解説でも書きましたが、戦争を積極的に推進させようとする学派などありませんし、そのような学者がいれば、その人物には学問をする資格はありません。ただ、平和を達成するにはいろいろな方法がある、ということをまず理解して下さい。
それでは、その平和を達成する方法ですが、いろいろな方法がある中で、すべての学派に於いて共通の認識があります。それは、分析理論は未来を予測する為に存在する、ということです。もし、予測上の未来が非常に厄介なものであった場合、それをどのように直していくかを提言するのが、政治学者の役割です。学者が国際情勢を分析する時には分析理論を方程式を使うように用いるのですが、
方程式の解を調整するには、変数を変えるしかない、ということです。
分かりにくいでしょうか?それでは、非常に単純な方程式を一つ用意してみましょう。
y=ax+b
このように、方程式には変数と定数があり、yがその方程式の解です。では、ちょっと計算してみます。
y=3×1+2
y=5
これが、国際関係論とどういう関係があるのか疑問に思われた方は、こう考えてみて下さい。もし、上の方程式の解「y=5」が戦争に近い状態を示し、平和を達成するにはy>10でなければならないとしたら?普通の計算なら解が出た時点で終わりますが、ここからが国際政治学者の仕事です。この方程式の解を、どうすれば10に近付けていけるかを探るのが役割です。定数は一定なので、解を変えるには変数を変えるしかありません。上の例では、y>10とする為にxを3以上にする必要があります。実際の分析では、もちろん上記のような単純な計算は行われませんし、解といっても数字で表せるようなものではございません。
しかし、この変数が曲者だったりします。学派によって、なにをもって変数とするかが違うからです。
私のような現実主義者にとっては、パワーバランスが変数です。ですから、戦争を起こす要素は主に二つしかありません。力が強すぎるが故に戦争を起こすか、それとも力が弱すぎる為に戦争がおこるかです。もし分析結果が戦争の可能性を示すのであれば、一定の均衡を達成する為に変数をちょちょいと変えて、軍備または経済力を増強しなければならないと唱えます。しかし、他の学派にとってはその国が民主的かどうかが変数だったりと、いろいろバリエーションがあります。つまり、それぞれの学派は全く違う方程式を用いて分析する、ということです。ですから、私にはどう見ても危険にしか見えない状態も、他の学者から見れば平和そのもの、といった全く違う分析結果が生まれるのでございます。
さて、察しの良い方ならば、この時点である疑問を抱いているのではないでしょうか?それは、人知によって未来を見ることなど本当にできるのか、ということです。この問いには、私は「十分可能である」と答えます。人間社会というのは、実に渾沌として、把握しきれないものであります。人間の一生をあらかじめ知ることは、神にしかできない芸当でしょう。しかし、私達はまた自然の一部で、一定の自然の法則に従って生きて行く生物でもあります。よって、正確な未来は分かりませんけれども、「私達はどこに向かっているか」ぐらいは分かるのです。
例え話をしましょう。あなたは、今とてもとてもお腹がすいていると仮定します。私は、この時点で「あなたが次に何をするか」の予測をたてることが出来ます。人間は空腹という自然法に逆らえませんので、何かを食べることになるのは明白です。「何を食べるか」は分かりませんが、あなたが「食欲を満たす方向に向かっている」ことぐらいはわかるのです。この、一見単純で極めてあたりまえな例えこそ、一般に科学と呼ばれるモノの神髄であります。理論的に事象の裏に潜む法則性を見い出し、未来を予測することが政治学、いや学問全体の使命なのです。