抑止力としてのパンデミック

先日の記事の通り、「国家安全維持法」は中共にとって、もう一つのチベットを抱えるというマイナスはあるものの、それを上回る効果をもたらす一石二鳥・三鳥の一手でした。香港は既に勝敗が決していますが、私は寧ろ、周辺へのインパクトが大きいと考えています。台湾問題です。

台湾の「武力統一」に舵を切った中国

元々、中国が唱える台湾の「平和統一」は一国二制度の導入が前提でした。中台統一を目指す国民党が曲がりなりにも生きながらえてきたのは、一国二制度が統一後の自由を担保するというロジックがあったためです。しかし今回の強行措置によって、一国二制度は政治システムを含まない虚構であったことが如実に晒され、国民党はかつてない試練に晒されるでしょう。

すなわち、中共は台湾の「平和統一」を放棄して「武力統一」に舵を切ったと見るべきです。一国二制度には様々な形式があるという屁理屈はもはや通用せず、台湾の中国に対する脅威認識は更にエスカレートするでしょう。中共指導部と高級官僚は決して馬鹿では無いので、そうなることは百も承知です。それでも敢えてこのタイミングで国家安全維持法成立を強行した背景の一つは、台湾に対して発せられた、降伏を促す強烈なシグナル、もといヤクザの脅しである、というのが私の見立てです。なぜ今なのか?コロナのせいで空母打撃群を中心とした米国海軍の作戦能力が削がれているからに決まっているではありませんか。世界中の混乱を尻目に、東シナ海から南シナ海までの西太平洋のパワーバランスは、中国優勢に大きく傾きつつあります。

緊迫の2年間

元々、習近平は任期終了の2023年までに、台湾統一という歴史的なレガシーを基に任期延長を図るのではないか、と予てから囁かれていました。安価なワクチンが流通しコロナが完全収束するのが2022年という見立てもありますので、今年から再来年にかけて緊張が継続する可能性は高い。

世界がコロナの脅威にさらされる中、スペイン風邪が流行し補充兵が不足したことが第一次世界大戦終結の要因の一つであった経緯が改めて見直されています。パンデミックは世界大戦を終わらせる力がある。疫病が流行している最中に、まともな戦争は出来ません。負傷兵の治療はままならず、補給船に感染者が出たらアウトなので海上のロジスティックは機能しない。米国はあの体たらくですから、この状態で中国と戦うことはそもそも兵站が壊滅するリスクがあります。一方、中国と台湾は共にコロナの流行を抑えているため、中国は台湾への上陸部隊派遣に躊躇する必要がない。台湾は非常に困った立場に置かれることになる。いま攻められたら勝ち目はありません。

新型コロナは世界大戦を(短期的に)抑止する

中国という国は、マイケル・ピルズベリーが「100年のマラソン(邦題:China 2049)」で指摘したように、古代の戦術や帝王学(孫子兵法や貞観政要など)から最近の事例(例えば日本のバブル崩壊の経緯とその後の政策ミス)を含め、歴史の学びを積極的に政策へと反映させます。 先進国の職業政治家や官僚との違い、もとい彼らの理解し難い強さの秘密は、こうした教養への向き合い方にあるとは言えないでしょうか。もちろん、一般的に理解される近代国家としての政権運用のファンダメンタルが欠けているとか、西洋由来の社会体制へのルサンチマンが、確立された方法論ではなく歴史からの学びに彼らを向かわせてきた、という側面はあろうかと思いますが、伝統的に中国の宮廷文化は古典からの引用を重視してきました。

従って、中国はよく分かっています。インド国境地帯での衝突に際して格闘戦に優れる部隊を予め展開していたり、南シナ海・尖閣諸島での挑発行動の激化、香港の国家安全維持法施行など、スムーズすぎる一連の流れは、(陰謀論者が主張するようにウイルスの感染拡大が意図的であったかどうかは別として)パンデミック発生時の作戦行動シナリオが事前に用意されていた事を窺わせます。7月1日、米中対立のため成立まで3ヶ月を費やしつつ、国連安保理は90日間の停戦を各国に呼びかける決議案を採択しましたが、正確に言うと戦争が出来ないのです。コロナが押さえ込まれている国同士の開戦を除いて。完全収束の瞬間まで、台湾侵攻のリスクを抱えたまま、コロナは皮肉にも世界大戦の抑止力となるでしょう。

引き続き、中国は積極的な影響圏の拡大に邁進し続けるでしょうが、大きな現状変更を経た後には、歪に傾いたパワーバランスを修正しようとする力が必ず働きます。コロナ「後」の世界にこそ、日本の危機が訪れると私は考えます。

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