書評「幸福な監視国家・中国」
紹介
梶谷懐・高口康太両氏による本書「幸福な監視国家・中国」(NHK出版)は、コロナ禍の前、2019年8月に出版された。中国の監視社会を功利主義から読み解き、利便性のために中国国民は進んで監視社会を受け入れている実像を解き明かしつつ、アルゴリズムによる公共性の躍進は「決して他人事ではなく、より大きな『近代的統治の揺らぎ』として、人類に共有されつつある今日的課題として捉えるべき」(p.208)と警鐘を鳴らす良著である。
出版当時、本書は中国クラスタ界隈で相応に話題になった。ネットメディアでは、中国の監視社会を、一方的に批判し「なぜ」そのような社会基盤が構築されたのかを問わずに「中国怖い」と思考停止したり、「中国すごい」と諸手を挙げて歓迎する深センのイノベーション企業関係者によるポジショントークが溢れていたので、社会学的文脈で語られる本書は、中国人庶民のメンタリティや社会文化に理解がある層には受け入れられ易いものであった。高口氏は私も愛用しているニュースサイト「KINBRICKS NOW」の管理人なのだから、そりゃそうだ。面白く無いはずがない。そして、本書の題名にある「最大多数の最大幸福」という功利主義的価値観は、コロナ禍の現在に於いて、「安全」と自由・平等に支えられた「近代的社会」のトレードオフを、容赦無く我々に突きつけている。必読の書である。
本書の概要
本書は、ECの利便性や、監視カメラによって実現した犯罪抑止、信用スコアの運用とフィンテックとの結合といった事例を挙げつつ、中国国民が進んで個人情報を企業に明け渡し、結果的に中国共産党による社会統治が強化されている実態を解説する。外資企業の中国駐在員は、みな多少なりとも犯罪グループによる子供の誘拐を恐れていたので、理解しやすいのではないだろうか。民主化運動の撲滅やネット言論への監視強化、ウイグル人の強制収容といった海外の問題提起が中国人に「刺さる」わけがない。監視社会によって安全で便利な社会を享受しているのだから。
中国社会を読み解く視点
本書の白眉は、第4章から第6章まで怒涛のように展開される、中国に於ける公共性の議論だ。特に、以下の指摘は中国社会を読み解くにあたって重要な視点である。テクノロジー社会に於いて、世に溢れる中国の自発的な民主化や分裂を期待する論調が如何にナンセンスなものと化したか、その一端が見て取れるのではないだろうか。
- 中国では「二つの民主」の概念があり、右派は「政治的権利の平等」、左派は「経済的平等」を主張している。(現在主流である)経済的な民主社会では、富の再配分のための国家による個人の経済活動への介入が強く奨励される。ここでは、パターナリスティックな強権が良しとされ、監視や経済介入による自由の実現と、歴史的に為政者の儒教的文脈の「徳」に期待する統治が好まれる中国政治と親和性が高い。
- 「儒教的な『天理』による公共性の追求は、アルゴリズムによる人間行動の支配への対抗軸になるというよりは、むしろそれと結びついて一体化する、あるいはそれに倫理的なお墨付きを与える可能性が高い」(p.196)
梶谷・高口両氏は、民衆が利便性のためアルゴリズムによるセグメント化を進んで受け入れる素地は功利主義的社会(資本主義社会)が本質的に内在していること、テクノロジーの理解は一般大衆にとってますます困難になっていること、そしてテクノロジーと公共性を両立させる議論にはまだ時間を要することから、「道具的合理性の暴走」は一党独裁以外の国でも起こりうると警告し、本書を締めている。こうした利便性と価値観の葛藤は、コロナ後の世界を読む軸の一つとなるだろう。
中国が覇権化することの本質
国際関係に於ける中国のパワーを論じるにあたって、サブ変数としての中国社会、特に脅威的なテクノロジー実装スピードに支えられた監視社会の議論は避けられない。なぜならば、効率的且つ利便性に支えられた信用スコアや個人モニタリングの仕組みは、社会インフラが脆弱で治安コストを下げたい途上国との相性が極めて良く、それが為政者による専制政治を加速させ、監視インフラを提供する覇権としての中国を歓迎するモチベーションとなるからである。この懸念は、米国の裏庭である南米ベネズエラで既に現実と化している。
また、途上国に限らず、コロナ禍で明らかになったように、ビッグデータによる行動分析、罹患者の行動制約と濃厚接触者の行動追跡は、クラスター抑止に極めて有用である可能性が指摘される(少なくとも、中国はそう主張している)。いわば、国民が自身の安全のために自身の権利の一部を為政者に進んで明け渡し、監視による自由を良しとする、肯定的自由社会が極端な形で実現する中国主導の幸福なディストピアの到来である。